『動いている状態で把握する』ということ

先日、お休みを利用して、足利学校に行ってきました。
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足利学校は、日本最古の学校で、その歴史はとても古く、盛衰はあったものの、奈良~鎌倉時代に創建されました。
室町時代には、現在国宝となっている書籍が上杉憲実から寄進され、鎌倉円覚寺より快元を初代校長として経営にあたらせたという記録が残っています。
そのため、禅僧などの僧侶が教鞭をとりましたが、教育内容からは仏教色を排したところに特徴があったようです。
(仏教色は排するということで、人が学ぶという事に重きを置いていることを感じ、とても先進的に私は思えました。)
その内容は、儒学が教育の中心であったけれども、初代校長の快元が『易経』のみならず実際の易学にも精通していたことから、
易学を学ぶために足利学校を訪れる者が多かったようです。
『易』というとあの『占い』の『易』を想像するかと思いますが、『易』にはもう一つの『哲学的な側面』があります。
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『哲学的な側面』とは、『動いているものを、人知を超えたものに委ねることで、動いている状態で把握するということ』だと今の私は感じています。
この『動いている状態で把握』というところがポイントです。
今の科学は『計測』をもとにした『仮説』や『予測』や『理論』がたてられ、それを用いて様々な科学技術が生み出され、その恩恵の基、私たちは暮らしています。
しかし、この『計測』は、『その瞬間』を扱ったものです。たとえ、動画の様な連続と考えられているものでも、『その瞬間』をつなげたものでしかないのです。
つまり、私たちは、『その瞬間』を扱ったものに、どっぷりと浸かって育ってきており、『動いている状態で把握』することに慣れていないのです。
最近、科学でも使われ始めた『量子力学』についても、いかに『動いている状態で把握』するかということがカギとなってきているようです。
世の中にあるものは、全て常に動いています。人も含めて。
治療やセラピーを行う際、『動いている状態で把握』することができる様になれば、『その瞬間』を用いて提供されるものより、さらに良いものを提供できるでしょう。
そのために、『易』の勉強を続けねばと思う今日この頃です。
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最後に、大好きな『藤』の花を足利フラワーパークでみてきました。とてもきれいでしたよ。

iga について

はじめまして。 喜絡堂の院長をしております伊賀秀文です。 これも何かのご縁ですね。 その季節ごとに旬の話題を提供していけたらと思っております。
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